2009年2月、私はこの原稿を技術協力専門家として26年ぶりに短期派遣されたミャンマーで書いています。
世界最貧国の一つ、戦後東南アジアで一番発展していながら鎖国によって後ろ戻りをする国、危ない国。
しかしながら、私はミャンマーの人たちほど日本人と波長の合う民族はいないと思いますし、彼らの精神文化を尊重しているビルマ狂です。・・・・・・・・・100年前の日本に合いたければ、ビルマに行けばいいのです。そんな国にまたしてもタイムワープして派遣されることになりました。
上記は今年3月、マンダレーのホテルで食事している時、声をかけてくれたM獣医師の獣医師会雑誌に投稿した原稿の冒頭の部分です。
M氏(M獣医師)とは今回もタイミングよくマンダレーでお会いすることができお話を伺ったのですがこれがまた面白く感じることがありましたのでご紹介させていただきます。
↑マンダレー側からエーヤーワディー川にかかる鉄橋遠望 対岸はザガイン。シルバー製品や藤椅子などラタンが有名なところです。
M氏はJICA【ODA(政府開発援助)の中核的な実施機関】短期派遣で今回マンダレー近郊の獣医師6名の先生役で8人乗りのワゴン車で近くの牧場を回りながら乳牛の臨床技術を教えています。
病気の診断、注射や時には手術も教えています。が、現地で最も喜ばれているのがお金のかからないお灸治療です。
乳牛ですから子供を産まなければお乳が出ません。しかしながら栄養不足による繁殖障害の牛が沢山います。
この牛に近くに生えているヨモギからもぐさを作り、牛の背中に枯草を盛りもうもうと煙をくすぶらせてお灸をすえます。
そうするともぐさの効果てきめん、約2週間後位に種付けできるようになるというのです。
高価なホルモン剤を使わなくて子供が生まれるわけですから大喜びされる訳です。
過去にベトナムでは魔法を使う日本人獣医がいるといううわさが広がり国立農科大学の先生が生徒を何十人もつれて見学に来る騒ぎになりました。
噂が全土に広がり講演の依頼がたくさん来ましたが日程や言葉の問題もあり代って教え子が講演して回ったそうです。
出張先ではなんでも食べ、現地に溶け込みそこにあった実地の研修を行うことが認められ東南アジアを中心に海外派遣依頼が多くなりました。
そんなM氏ですが子供のころはというとアフリカにあこがれる好青年でした。
少年ケニアの冒険に胸をときめかせ、シュバイツアー博士の医療伝道に感動し将来は必ずアフリカに行って人の役に立つような仕事をするのだと決めていたそうです。
高校生の時「青年海外協力隊」が創設され、絶対にこれに参加してアフリカに行くぞと決めました。
志は高かったのですが成績は本人の言葉で言うと「超底辺をさまよい高校留年、大学浪人、就職浪人と何でもやりました。
試験は大の苦手で今まで受かったのは獣医師免許と運転免許のみ。
JICA職員採用試験や協力隊のシニア隊員試験を何回受けても惨敗、長男が生まれても出口の見えないアルバイト生活、乏しい生活費からねん出して上京し、再挑戦、またもやトホホ。帰途の夜の飛行機の窓ガラスに映った自分の顔に妻と子供の顔がダブり、不安感と自分の学力の低さに何度もため息が出ました」 といいます。
(いろいろと困難があったにもかかわらずこの間にアフリカ行きも達成しています)
またこんなお話もしてくれました。
高校留年のころ司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」を読み感激し司馬さんに会いたいと隣の席の子にいったら「そんなに会いたいの?だったら紹介してあげるわよ」とこともなげに言ってくれたというのです。驚くM氏にその子は親戚に司馬さんのお宅でお手伝いしている人がいるから頼んであげるとのこと。
かくて司馬さんのお宅にお邪魔してお話しすることができた。所詮望んでも達成は不可能と思っていたことが実現し
「何か目に見えない力が働いていたとしか思えない」と。
マンダレーの風光明媚な湖畔のレストランでのことです。
そうそう26年前のヒスイのことも語ってくれました。
現在ヤンゴンの宝石博物館の建物脇に展示されている重さ32トン余りのヒスイ原石をパカン鉱山から運ぶ途中カチン族と戦いとなり10名以上の人が死亡したそうで当時の新聞をにぎわしたと・・・・。
当時はまだビルマ族を主体とするビルマ政府とシャン族、ナガ族、カチン族など他種族と緊張関係にありました。
当時の道路状態、運搬具のことを考えると30トン余りの原石を運ぶのは相当の難事業で大勢の人が動員されました。
その一部で戦闘状態となったのです。
(この部分は改めて確認予定です)
今回の短期出張でも4半世紀前の教え子たち(ヤンゴン中心にそれぞれの分野で要職に就いています)と旧交を温めまた何かとやりやすいように手配してくれて大変心強く助かったといいます。
「自分は多くの人に助けていただいてやっとご恩返しができるようになった」としみじみとお話ししてくれました。
マンダレーでは日本人にあうことはほとんどないところです。
今までにない心に響くものをいただきました。
M氏 北海道千歳市の「ガイア(地球)動物病院」 院長 南 繁 氏です。
昨年完成したマンダレーからザガイン方面に行く鉄橋。片側2車線の1級幹線道路です。
しかしこれに繋がる道路は工事中で旧道を使用しています。
イギリス植民地時代に作られた鉄橋を新しい橋上から遠望。2段になっており下は鉄道、上は片側一車線の道路。
鉄道は現在も現役でカチン州ミッチーナまでつながっています。
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