先週、展示期間もあと2,3日と迫った奈良の正倉院展を見に行ってきました。
正倉院の宝物の中にもビルマ産のものがあり、一度は実際に見てみたいと思っていたのです。
それは琥珀の入った鏡、正式名は「平螺鈿背円鏡」(へいらでんはいのえんきょう)
赤い部分が琥珀でそれがビルマ産、それも翡翠鉱山のある同じカチン州産とのことなのです。この鏡に紫外線を当てると蛍光を発します。ビルマ産の琥珀も蛍光を発することは判っておりその色、硬さ、年代測定から間違いないようです。
ビルマの琥珀は紀元前から中国に伝わっており、この鏡が作られた唐の時代には相当な量が都にあったと考えられます。
ということは中国雲南省からビルマを通ってインドに抜ける西南シルクロードも盛んだったのでしょうね。
ビルマでは東南アジアのうちでも古い銀貨が発見されていますし、綿花も重要な輸出品だったようです。
しかし、ビルマの翡翠は都(西安)には行っていなかった。それはどうしてなのか?
あれだけ翡翠好きの中国人が何故? まだ発見されていなかった?
琥珀は軽くて翡翠は重たかったから???
一理ありますがはるか遠くのホータンのヒスイはシルクロードを通って運ばれています。
翡翠(硬玉)はまだ価値ある翡翠として認知されていなかった?など疑問が残るところです。
しかし、今回は本題ではありませんのでこれ以上触れません。
さて、ビルマ琥珀を使った宝物にはこの鏡以外にも幾種類かあり、私がびっくりしたのは何と琥珀の数珠に水晶の勾玉がついたのがあったのです。
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「琥碧誦数第一号」琥珀の数珠です。
この数珠は母珠(ぼしゅ)にやや扁平な真珠、通珠(つうしゅ)に直径六ミリ前後の琥珀の小玉119個を用いこれを白組緒(しろくみお)で貫く。母珠には丁字型に穴が穿たれそこから4本の記子(きし)〈房につく小珠〉が出ている。
記子は瑪瑙と真珠または紫水晶との組み合わせで、一つの房に2個付く。
また母珠の両隣にも瑪瑙玉が一つずつ配されている。
母珠の反対側には2種の房飾りがつく。一つは長さ2.35センチの瑪瑙の管玉を中に前後に紫水晶を配するもの、もう一つは真珠を連ねた2本の房の途中に水晶の勾玉をおくものである。
母珠から4本の房が垂れ、また飾り玉に管玉、勾玉を用いる本品の形式は珍しい。
以上 正倉院宝物 南倉 宮内庁正倉院事務所 朝日新聞社発行 を参考にしました。
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今回展示されたものではありません。
琥珀についてもう少し詳しく知ろうと正倉院関連の本を見ているうちに見つけたのです。
数珠に勾玉がついているのって初めてです。
いやいやこれは私が初めてなだけであって別に珍しくもなんでもないかもしれません。
だけど私には新鮮な発見でしたので紹介させていただきました。
そもそも仏教と勾玉とは合わないというか縁が遠いものと思っていたましたから。
確かに東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音立像の宝冠や飛鳥寺の仏塔の礎石に翡翠製の勾玉がある(あった)のは知っている。
しかしそれらは脇役であって、卑弥呼の時代「魏」に献上されたころのものとはその意味合いは著しく違っているように思います。
また仏教でいう「七宝」と勾玉は関係ない。
強いて言えば「水晶」製ということなのか。
なお正倉院の数珠はこれが収められている北倉の他に南倉にもあり数珠玉は本来108個のところそれより1個か2個多いものもあるそうです。この数珠玉ももちろんビルマ産です。
「この数珠は東大寺大仏開眼会の前後に奉献されたことが明らかである」 といいます。
大仏開眼会には1万人の僧侶が集められたといいますからさぞやその読経はすさまじかったことでしょうね。
今回も翡翠がメインのお話でなくてごめんなさい。
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