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玉依比売命神社 児玉神事(1)(2010/01/12)


玉依比売命神社の鳥居と参道のケヤキ並木 



1月7日、児玉神事に参加いたしました。

長野市松代町東条に鎮座します 玉依比売命神社はJR長野駅からバスで30分、松代駅下車、タクシーで5分のところにあります。


簡単に松代町をご紹介しますと


松代町は真田10万石の城下町として知られ、川中島古戦場の場所であり町内には妻女山(上杉謙信本陣)、海津城(武田信玄本陣)、山本勘助戦死地及び墓所があります。


また、太平洋戦争の末期、秘密裡に構築されたといわれる大本営予定地は碁盤の目のように堀進められ、総延長10Kmにおよび、現在、その一部が東洋一の地震観測所として使用されています。


また、人では佐久間象山、恩田木工、松井須磨子等の生地でもあります。



玉依比売命神社 本殿  真田10万石との関係の深さを示す6文銭マーク



松代駅北東には山の斜面におよそ500基と言われる大室古墳群があり、板状の石を積み上げて作った「積石塚古墳」や「合掌形石室」などは他に例を見ないものです。


児玉神事が行われるようになったのもこれら点在していた古墳群と密接な関係があっただろうと素人目ながら推測されます。



勾玉・管玉など児玉石を数えているところ



玉依比売命神社に話を戻しますと


創建は明らかでありませんが後醍醐天皇の時代に編纂された「延喜式神名帳」に載っておりそれより前だったことは明らかです。


御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)でその名の通り女性の神様です。


この命は海をつかさどる綿津見(わたつみ)神の女(むすめ)で神武天皇の母、神武天皇の母であり海の民の神様です。


ヒスイや鮭を求めて日本海沿いに信濃川や姫川をさかのぼり山深い信濃に入って定住したという安曇族が祀る穂高神社と同じ系統といいます。


「神戸市の垂水区に海(わたつみ)神社がありますが児玉石が多いところです。

 神社の構造も同じなんですね。お社の裏側に古墳群がある」話すのは瀧澤宮司さん。


また

「長年の間に畑など耕していくと副葬品の勾玉や管玉などが出てきた。

 これが奉納されて順次数が増えてきた」


「この社は通称池田の宮と言われています。湖畔にお社があり湖の周辺に人が住んで

いたんですね。


向こうの山際に船着き石というのがあります」とのお話。

「松代町史」によれば江戸時代に社が水害に合い、全壊し現在の場所に移築されたと

記録があるとのこと。


松代藩の崇敬厚く神社建立の際にも多大な援助があったようで鬼がわらや幟には

真田家の紋章である六文銭が印されています。


この児玉石は記紀伝承上の60から始まり江戸時代中期の宝永三年(1,706年)292個、

幕末の安政四年(1,857年)に692個、昭和4年(1,929年)762個と


次第に数を増してきています。特に注目されるのが安政4年までの100年間に


400個も増えていることです。



こぶし大の大きな管玉???




恩田木工も家老として藩政を立て直した時期も含まれており、荒れ地の開墾や耕地の整備が積極的に行われその際出土した勾玉などを奉納した(神社から見ると外部から加わった石なので「来たり石」といい石の数が増えるのは縁起が良いと解釈されます)のが多かったのではと推測します。



次回は神事の様子と宝物である児玉石の写真など載せます。


次回お楽しみに

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