玉依比売命神社について今回で3回目ですが他に例のない神事が今も古式にのっとって行われておりまた、ご神宝として所蔵されている勾玉、管玉など800顆余りと他の神社に例がないほど多く蔵しています。
しかしそのご神宝も年1回公開されるのみで実際に見た人は非常に少なく、したがってNET上でその情報も極めて少ないのが実態です。
今回児玉神事に参加しまた宮司さん及び郷土史家にご協力を得まして資料を入手しましたのでもう少し詳しくご報告いたします。
今回は児玉石の記録に残っている年代別総数の変遷についてです。
児玉石には勾玉以外有孔自然石など含みます。
参考資料 「東条の歩み」旧埴科郡東条村史 北村 保 著 昭和60年11月
(寛喜2年 西暦1230 21 ) 鎌倉時代
明暦年間 1655~58 60余り 江戸時代
宝永3年 1706 292
文化9年 1812 637
文政4年 1821 651
天保11年 1840 672
明治16年 1883 726 明治時代
昭和5年 1930 763
昭和28年 1953 766
昭和41年 1966 785
昭和48年 1973 787 生れ石 2、 来り石 1
昭和51年 1976 790 来り石 3
昭和56年 1981 789
昭和57年 1982 790
昭和58年 1983 788
昭和59年 1984 788
昭和60年 1985 788
昭和61年 1986 789 生れ石 1
平成6年 1994 789
平成7年 1995 788
平成8年 1996 789
平成12年 2000 791 来り石 1
平成15年 2003 792 来り石 1
平成16年 2004 793 来り石 1
平成17年 2005 796 来り石 3
平成18年 2006 798 来り石 2
平成19年 2007 799 来り石 1
平成20年 2008 800 来り石 1
平成21年 2009 801 来り石 1
平成22年 2010 819 来り石18
ということで現在は819個の児玉石が秘蔵されています。
少し補足しますと
(寛喜2年 西暦1230 21)は江戸時代に書かれたものであり信ぴょう性に疑問があります。
しかし、全くの創作とも思われず年代、個数など多少の変動があるものの古くから児玉石は集められていたのでしょう。
玉依比売命神社の場所は洪水や本殿が火災で焼失したりして変わっており、その際所蔵していた
記録類も失っています。
特に寛保2年(1742年)8月1日の「戌の満水」といわれる大水害で社地は大きく変わり(全壊)し
現在の場所に移ったといいます。
記録からわかるように17世紀後半から18世紀にかけて飛躍的に増加しています。
これは「江戸後期における国学の隆盛と無関係でなくまた神社を取り巻くおびただしい古墳群の存在とそのほとんどが考古学の対象となる以前に掘り尽くされたことと密接な関係がある」と郷土史家K氏は言います。
なお児玉石はどのようにして増加したのか社伝によると「生れ石」と「来り石」とし、「生れ石」は
自然に増加、すなわち生れるもの、「来り石」は奉献によるものとしています。
最近は毎年のように来り石があるそうですが糸魚川他遠いところからも奉献があるそうです。
次回は 児玉石の材質及び玉の形態について ご報告いたします。
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