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玉依比売命神社 児玉神事(3) (その他)(2010/01/26)


 玉依比売命神社について今回で3回目ですが他に例のない神事が今も古式にのっとって行われておりまた、ご神宝として所蔵されている勾玉、管玉など800顆余りと他の神社に例がないほど多く蔵しています。

しかしそのご神宝も年1回公開されるのみで実際に見た人は非常に少なく、したがってNET上でその情報も極めて少ないのが実態です。


今回児玉神事に参加しまた宮司さん及び郷土史家にご協力を得まして資料を入手しましたのでもう少し詳しくご報告いたします。




今回は児玉石の記録に残っている年代別総数の変遷についてです。

児玉石には勾玉以外有孔自然石など含みます。

参考資料 「東条の歩み」旧埴科郡東条村史 北村 保 著 昭和60年11月


(寛喜2年   西暦1230    21 )   鎌倉時代


明暦年間   1655~58   60余り  江戸時代

宝永3年   1706      292

文化9年   1812      637

文政4年   1821      651

天保11年  1840      672


明治16年  1883      726   明治時代


昭和5年   1930      763

昭和28年  1953      766

昭和41年  1966      785

昭和48年  1973      787  生れ石 2、 来り石 1

昭和51年  1976      790  来り石 3

昭和56年  1981      789

昭和57年  1982      790

昭和58年  1983      788

昭和59年  1984      788

昭和60年  1985      788

昭和61年  1986      789  生れ石 1


平成6年   1994      789

平成7年   1995      788

平成8年   1996      789  

平成12年  2000      791  来り石 1

平成15年  2003      792  来り石 1

平成16年  2004      793  来り石 1

平成17年  2005      796  来り石 3

平成18年  2006      798  来り石 2

平成19年  2007      799  来り石 1

平成20年  2008      800  来り石 1

平成21年  2009      801  来り石 1

平成22年  2010      819  来り石18


 ということで現在は819個の児玉石が秘蔵されています。



少し補足しますと


(寛喜2年 西暦1230 21)は江戸時代に書かれたものであり信ぴょう性に疑問があります。


 しかし、全くの創作とも思われず年代、個数など多少の変動があるものの古くから児玉石は集められていたのでしょう。

 玉依比売命神社の場所は洪水や本殿が火災で焼失したりして変わっており、その際所蔵していた

 記録類も失っています。

 特に寛保2年(1742年)8月1日の「戌の満水」といわれる大水害で社地は大きく変わり(全壊)し

 現在の場所に移ったといいます。


 記録からわかるように17世紀後半から18世紀にかけて飛躍的に増加しています。

 これは「江戸後期における国学の隆盛と無関係でなくまた神社を取り巻くおびただしい古墳群の存在とそのほとんどが考古学の対象となる以前に掘り尽くされたことと密接な関係がある」と郷土史家K氏は言います。


 なお児玉石はどのようにして増加したのか社伝によると「生れ石」と「来り石」とし、「生れ石」は

 自然に増加、すなわち生れるもの、「来り石」は奉献によるものとしています。

 最近は毎年のように来り石があるそうですが糸魚川他遠いところからも奉献があるそうです。



 次回は 児玉石の材質及び玉の形態について ご報告いたします。






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