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正倉院の勾玉補足(2009/11/19)

前回のブログで勾玉のことに触れましたがもう少し補足します。


飛鳥寺で出た勾玉は礎石の上からといいましたが正確には飛鳥寺の五重塔の塔心礎上面から金銅製のシャリ容器とともに勾玉や管玉、金銅製耳飾り他数多く埋納されていたといいます。


この日本最古の寺である飛鳥寺のモデルになったのが百済の王興寺ではないかと近年注目を集めています。


(広報あすか 8 明日香をさぐる)を参考にしますと


王興寺が建立されたのが577年、日本書紀によると577年百済から造仏工や造寺工が日本に送られ

また、588年には仏舎利、僧侶、寺工が百済から献上され飛鳥寺の造営が開始されたことがわかっています。


王興寺と飛鳥寺は共通するところが多いのです。

勾玉についても王興寺の舎利容器とともに翡翠製(たぶん日本製)のものがでています。

これらは鎮壇具といい建物の土地や建物を清め災いがないように願って建物の基壇の下に埋められたものです。

鎮壇具が沢山出土したのが奈良興福寺のもので総数1800点余り、多くが国宝に指定され東京国立博物館、興福寺で保存管理されています。

この頃になると勾玉はほとんど作られなくなったと考えられますがこれも仏教の影響力によると考える研究者が多いようです。

いずれにしても仏教伝来は明治維新に似た強い影響を日本に与え古い価値感の象徴として勾玉も消え去る運命にあったのでしょう。



●七宝(しちほう) 日本装身具史 美術出版社発行 48頁参考


七宝について書かれた仏典は様々あるが中でも「無量寿経」、「阿弥陀経」、「観無量寿経」の浄土三部経や「法華経」が良く知られる。


無量寿経  金、銀、瑠璃(るり)、はり(ガラス)、サンゴ、瑪瑙(めのう)、シャコ


阿弥陀経  金、銀、瑠璃(るり)、はり(ガラス)、シャコ、 珊瑚(サンゴ)、琥珀(こはく)


観無量寿経 金、銀、瑠璃(るり)、珊瑚(サンゴ)、琥珀(こはく)、シャコ、瑪瑙(めのう)


法華経では真珠を 七宝の一つにいれている

仏教の教えでは、仏の国(極楽浄土)、では「七宝」の木々が生え、「七宝」の池があり、地も建物もすべて、「七宝」

でつくられた華やかな世界である。

仏教でつくられた宝石類と、これらを使った工芸品類は当時の貴族たちの憧れであったろう。

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